昨日の通夜は、子どものように私は泣いた。
世の中いろいろあるけれど、道路を挟んで、三軒隣同士で市議会議員選挙に出馬した人たちは僕たちぐらいかもしれない。
それも、初当選も同じ平成25年の同期。
ともすれば、周辺の噂話に惑わされて、関係がギクシャクなってもおかしくない関係性ではあったが、
誰がなんと言おうと、僕らは仲が良かった。
しかし、その雰囲気を作ってくれたのは、野中康弘さんの優しい人柄があってのことだったと思う。
当時、難航していた若楠校区青少年健全育成協議会の会長探しの時は、真っ先に彼のことを私は推薦した。
あの時の選択は間違いではなかったと今改めて感じる。今の若楠校区の人々の青少年に対する優しいまなざしは、彼の尽力と人柄によって作り出されたものであると、亡くなった今改めて感じます。
とかく強さばかりを顕示することに意義を見出す世の中で、類稀なる優しさ溢れる人物でした。
連絡不精で、普段は自分から電話をかけることがないのに、春先に電話をかけてきて、
「青少年健全育成協議会の会長職を退きたい。」と言ってきた時は、
癌との闘いが始まって以降、私は初めて引き留めませんでした。
それは覚悟を決めた電話だと感じたからです。
「正式には、変更となっていても、あなたが病気を治して帰ってくるまでの暫定と、新しい会長に自分が伝えておくから、必ず戻ってきて、会長職をまたやるのだよ。」
と私が言うと、
その言葉を聞いた彼は、
「君に会えてよかった」と静かに言いました。
亡くなる直前まで、「病気を治したら、また一緒に地域を盛り上げていこう!」と
励まし続けてきましたが、本当に残念です。
自分の納得できる話しを聞いた時は、
小声で「いいぞ」「いいぞ」と二回、合いの手を入れるのが、口ぐせの野中さん
六甲おろしを楽しそうに唄う
アンチ巨人の野中さん
頭で考えていることを整理するとき、
手が一緒に動いてしまう野中さん
楽しい時間を共に、
一緒に過ごしてくれて本当にここまでありがとうございました。
この町の未来を遠い空から優しく見守っていてください。